4.終戦1945年~東京オリンピック1964年

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ここまで日本の人の数と事業所の数がどのように推移してきたかを見た。商品やサービスを購入してくれるのは人と法人である。簡単に言うと消費者と会社である。これが日本市場である。彼らが何をどの位購入してきたのかを見て行きたい。

戦後の日本を1964年の東京オリンピックまでと1991年バブル経済崩壊、2011年東日本大震災までに分けて調べていく。

○消費者の動向

この時代、日本の人口は急激に拡大していた。同時に家族の形も変化し始めた。1人世帯が増え始めたが、2人世帯、3人世帯、4人世帯も急増している。5人世帯もまだ増加傾向にあった。つまり若者が都会に出てきて結婚をし、夫婦2人と子供が2~3人という形態が定着し始めたのである。核家族という言葉が登場したのもこの時代である。一方で7人以上の大家族の世帯は急速に減少していったのである。

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[グラフ:日本の長期統計系列 都道府県,世帯人員別一般世帯数(大正9年~平成17年)より作成]

消費の形も家庭で使う耐久消費財に向かっていた。当時、三種の神器と言われた白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機の普及率を見ると今では考えられないような勢いで浸透して行ったことが分かる。

4-1_shuyoutaikyu [グラフ:消費動向調査(全国月次、平成16年4月調査より)結果 主要耐久消費財等の普及率(全世帯)(平成16年3月末現在)より作成]

消費支出を見ると1世帯あたりの1ヶ月の消費支出がまさに右肩上がりで急速に拡大しているのが分かる。1946年当時1ヶ月の消費支出は2,125円でしかなかったが、1964年には44,481円にまで増えた。18年間で実に21倍に膨れ上がったのである。グラフでは雑費の伸びが著しいが、これは保健医療費、理容衛生費、交通通信費、教育費、文房具費、教養娯楽費、交際費、たばこ等のことで、当時普及し始めたテレビや洗濯機は設備、家具として住居費に含まれている。

4-2_1setaishouhi [グラフ:日本の長期統計系列第8章第20章家計20-1-a 1世帯当たり年平均1か月間の消費支出(全世帯)-全都市(昭和21年~37年)より作成]

○事業所の動向

消費者の状況が大きく変化していく中で事業所もその数を増やして行った。とはいえ全業種が同じように増えたのではなく、この時代大きく数を増やしたのは卸・小売業、つまり流通業が事業所の数を大幅に増やしている。一方、製造業の事業所は緩やかな増加に留まっている。

拡大する消費に応えるようにこの時期、スーパーマーケットが登場している。それまでは百貨店と中小小売店という構図の流通業界に新たな勢力が進出するのである。1953年、紀ノ国屋は顧客自ら商品を選び、レジで精算する日本初のセルフサービス・スーパーマーケットを東京・青山に開店している。1957年にはダイエーが主婦の店1号店を大阪・千林駅前にオープンした。イトーヨーカドーも翌1958年にヨーカ堂を設立している。

4-3_gyoushubetu [グラフ:日本の長期統計系列第6章企業活動6-6-a都道府県,産業大分類別事業所数及び従業者数-事業所数-(昭和26年~平成13年)より作成]

ではこの時代、すなわち終戦の1945年~東京オリンピックの1964年だが、国内でどのような商品がどの位売れたのか見て行きたい。当時日本は輸出で経済を発展させてきたが、ここでは日本国内の市場はどうなっていたのかを確認したいので国内に限定して話を進める。

この時期の商品別の国内販売統計は適切なものが見つからないので商業統計を使うことにする。この統計は卸売業と小売業のデータを取っているが、ここでは消費者だけでなく業務に使用される商品の売上も含めた全体市場を考えるため卸売業のデータを使うことにする。ただし卸売業には輸出商も含まれるため正確には国内限定ではない。

4-4_ippanorosi1964 [グラフ:日本の長期統計系列商業統計13-2-a産業分類別事業所数,従業者数,年間商品販売額及び商品手持額(昭和27年~45年)より作成]

このグラフで最も規模が大きいのは鉱物・金属材料である。これは主に石油や石炭、プロパンガス、鉄鋼などである。1958年2兆6,131円だったのが1964年には3倍以上の9兆1,506億円にまで拡大した。次に大きいのは繊維品である。繊維原料や織物のことで、1958年に2兆9,078億円が1964年には7兆4,969億円にまで増えている。機械器具は1958年1兆6,921億円、1964年6兆3,781億円でこちらは4倍近くまで増加した。機械器具とは農業機械、建設機械から自動車、事務用機械、家電製品などのことである。

次に小売業を見てみる。小売業は主に消費者を対象に販売しているものだが、ここには企業などに業務用として販売しているものも含まれている。しかし概ね小口である。グラフからも明らかなように最も販売額が大きく、なおかつ伸び率も急なのは飲食料品である。これほど大きく急激に伸びている背景にはもちろん人口増加があるが、いくら人口がこの時期急増しているとはいえ、人口の伸び方はアーチ型のグラフになっている。一方、飲食料品は逆アーチの形で伸びている。人口の増加より飲食料品の販売額の方が伸びが大きいということは、人々の食べる量が増えたというより、より高額な食材に移行していったと見ることができる。いずれにしても飲食料品の販売額は1958年の1兆5,878億円から1964年3兆2,593億円、2倍に拡大した。

4-5_kourigyo1964 [グラフ:日本の長期統計系列商業統計13-2-a産業分類別事業所数,従業者数,年間商品販売額及び商品手持額(昭和27年~45年)より作成]

飲食料品に次いで販売額が大きいのは織物・衣服・身の回り品である。これは衣服や靴、バッグなどで、販売規模は大きいとはいえ飲食料品の半分程度である。これも飲食料品と同様に著しい成長を見せた。販売額は1958年が6,384億円、1964年には1兆4,739億円と2倍以上に拡大した。家具・建具・じゅう器も販売規模も伸びも大きい。1958年には3,012億円だったのが、1964年には3倍の1兆0,335億円となった。家具・建具・じゅう器とはタンスや机、椅子から畳、ほうき、バケツ、魔法瓶、プラスチック容器などである。この他に家庭用機械器具の伸び方が注目できる。これはテレビや冷蔵庫、洗濯機など家電製品のことだが、販売額は1958年が1,162億円でしかなかったが、1964年には約5倍の5,785億円に跳ね上がっている。一方、自動車・自転車についてはまとめて統計が取られているが販売規模はまだ小さく、1958年は473億円、1964年が1,129億円程度でしかなかった。

この時期、つまり終戦の1945年~東京オリンピックの1964年で、とくに1954年頃からは日本は高度経済成長の時期にあり、この時代を語るとき常に三種の神器すなわちテレビ、洗濯機、冷蔵庫の3種類の家電製品が取りざたされる。もちろんこれらは新たに日本市場に登場してきて日本市場を牽引してきたことは確かだが、国内市場に限ってみていくと繊維製品や食料品市場は家電製品市場と比較しても圧倒的に規模は大きく、さらに伸びも大きかったのである。

これらをすべて含めた卸業、小売業全体の数字を見ておく。1958年の時点では卸業が約14兆円、小売業が約3兆5000億円だったのが、1964年にはそれぞれ約39兆円、8兆3000億円以上にも成長している。

4-6_orosikourigyo1964 [グラフ:日本の長期統計系列商業統計13-2-a産業分類別事業所数,従業者数,年間商品販売額及び商品手持額(昭和27年~45年)より作成]