東京・池袋の宮城県アンテナショップ「宮城ふるさとプラザ」で『初夏だよ!宮城がうまい祭り』が開催される。宮城の食を体験するイベントで、宮城県産のギンザケ「みやぎサーモン」を味わう試食会を行う。
ギンザケは塩鮭や鮭の切り身でなじみの深い魚である。このギンザケ、今はほとんどが宮城県で海面養殖されている。天然のギンザケでなく養殖だけになってしまった。
ギンザケは千島列島など北部太平洋に生息していて、他のサケのように日本には遡上してこない。このため以前、遠洋漁業が盛んな時は、ギンザケは大量に漁獲できた。しかし、200海里規制が始まるとギンザケの漁獲量は激減し、現在では養殖と輸入のみになってしまった。
水産庁の「浜の活力再生プラン」の策定状況に宮城県のギンザケ養殖の経緯が紹介されている。
昭和50年:宮城県の志津川湾でギンザケ養殖が始まった。
昭和63年:生産金額が100億円を超える。
平成2年:生産金額139億円達成。ピークである。
平成3年:供給過剰による下落
平成4年:生産量22,300トンで減少に転じた。
平成7年:このころから本格化した鮭鱒の輸入。チリ産のギンザケ増加。宮城県産の価格低下。
平成13年:ギンザケ価格の暴落。生産量の減少に拍車。
平成18年:このころから海外産ギンザケ輸入量は7万トン前後で推移。
このため生産量が概ね13,000トン前後、生産金額が60億円程度で安定するようになる。
平成23年:東日本大震災によって養殖施設や養殖物などのほぼ全てが流失。
幸い、山間部で生産していた種苗は被災を免れた。
平成24年:ほとんどの生産者が国の支援事業を活用し、生産を再開した。
原子力発電所の事故に伴う風評被害や輸入業者が鮭鱒類を大量に輸入したことから、宮城県産ギンザケの価格は過去に例のないほどに大暴落した。
平成26年:生産量も回復した。チリでの養殖鮭鱒類の疾病による生産量の減少や円安等により海外産鮭鱒の輸入量が減少した。
以上が最大産地、宮城県のギンザケ生産の大まかな経緯である。
農林水産省の「漁業・養殖業生産統計」によれば、生産量は、1990年代は2万トンを超えていた。宮城県がギンザケの養殖を始めた頃だ。2000年代に入ると1万トン前後にまで減少したが、2005年頃から徐々に拡幅し始めている。